のあもといっしょ♡発達障害の世界へようこそ

LD学習障害のねーね(10才)と、軽度知的障害のあーちゃん(4才) をもつADHDママの子育て奮闘記

終わるはずの通級、また始まる。

昨年の3月にやっとのことで降りた通級判断は、
一年後にあっさりと終了を告げられた。
理由は、
「通級でやるべきことは全てやった。
あとは、学校でフォローしてもらう」と言うことだった。

もちろん納得はいかない。踏ん張って通級継続をお願いする。とにかくお願いする。では半年だけ、月一で学校に様子を見に来るという形なら、と言うことでなんとか承諾をもらった。

通級の先生はこう言う。「今後のフォロー先は学校です。学校に彼女のフォローの仕方を指導するので大丈夫です」

果たして、通常業務だけで手一杯の学校に何ができるのと言うのか?マニュアルがあれば動けるが、なければ責任問題になるのを恐れて、柔軟な対応なんて出来ない環境で働いているのが日本の教師だ。専門の知識がない教師が資格者に変わって彼女を支援できるのだろうか。

通級が終わるまでの半年、次のフォロー先を必死で探す。いろんなところに出向いて、情報を仕入れて、問い合わせて、試せるものは本人の意向を聞きながら試す。

発達障害、知的障害の未就学児の学びの場は、たくさん用意されているのに、小学生になった途端に突き放されるように学びの場を失うのは、本当に残念でならない。遊びや社会生活の場としての放デイはたくさんあるが、学習に特化した放デイがとても少ない。あっても、どこもいっぱいで見学に行っても教室に入れないほどだった。

大手で発達障害に特化した手厚く個人指導してもらえるところもあったが「月額8万円からでございます」と言われた。我が家にはとても無理な値段…。長野県と岐阜県学習障害の子のフォローに強い県として有名らしいが、8万円って地方だったら家賃が払える金額!?…なんならいっそのこと長野に引っ越そうか?!と一瞬本気で思ったくらいだ。

夏休み明け、ねーねがとうとう「学校に行きたくない」と言い出した。ほれ、みろと言わんばかりだ。こうなるって3年前から言ってたのに。
学校に行かなくなり始めた彼女に、先生が慌てて電話を連日かけてくる。
「もうテストも受けなくていいよ、勉強もしなくていいよ、とにかくおいで」
と言ってくる。そうじゃない。
彼女は勉強したいのだ。

テストの勉強も彼女なりにしていたし、宿題だって、分からなくて出来ないことはあっても、やらないかったことは一度もない。実際、その日遅刻して行って、ねーねは本人の希望でテストを受けて帰ってきた。

学習障害の彼女に、ことあるごとに学校側は「勉強しなくていいよ」と言ってくる。が、彼女は学びたがっているのだ。将来、保育士さになるんだと言っている。その夢はもう5年変わっていない。保育士の資格を取得するには、その前にまず高卒認定の資格が必要だ。「勉強しなくていい」はずがない。

通級がなくなってからの彼女は、少しずつ変わっていった。5年生になって勉強自体がかなり難しくなっているのもあるし、やはり週一の情緒のクラスがなくなったのも大きい。

ねーねは、IQは通常なのだが、ワーキングメモリーと処理速度の数値が異様に低い。学校に行くごとに、みんなのスピードについていけない自分に劣等感を感じ、おととい覚えた感じが今日書けない事に落胆する。そして、週一の情緒のフォローは、月一になった。しだいに、心がすさんでくる。「自分だけできない…自分なんか…」とポロリと言葉にでたり、投げやりになったり、泣いたり、時には先生のせいにするようになった。通級に通ってる頃は、みんなに「自分の良いところを探しに通級に行ってるの」と言っていた子がだ。

8月末の面談で彼女には通級が必要だともう一度主張するも、努力の甲斐なく結局、本人ともに納得いく新しいフォロー先も見つからないまま半年が過ぎ10月になった時、通級の先生とお会いする機会があった。会議で話し合った結果、むしろ彼女には通級中止どころか、中学まで通級が必要だという結果になった、と言うのだ。

まさかの、大どんでん返し!笑(それを聞いた時は泣いちゃったけどね。)

どんなにだめと言われても、言い続けるのをを諦めないことが大事だと、ソーシャルワーカーの方が言っていたのを思い出す。何年かの努力が少し報われた気がした。